NEMO ニモ【評価:72点】

NEMO ニモ

あらすじ・概要

15年にわたる製作期間と55億円もの巨額の費用が投じられ、宮崎駿、高畑勲、出崎統、大塚康生、レイ・ブラッドベリ、メビウスなど多くの著名人が製作に関わったが、商業的には不成功に終わった。公開当時のキャッチコピーは「少年には夢の降る夜がある Would you like to go into “Dream World” ?」。
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ある夜眠っていたニモのもとに、眩しい光と共に兵士を従えたヒゲの紳士が現れた。紳士は夢の国のスランバーランドからの使者ジーニアス教授で、ニモを招待する為にはるばるやって来たのだった。彼は教授に案内されるままスランバーランドへ出発する……。
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日本のテレコム・アニメーションフィルム(以下「テレコム」)が制作した作品である。東京ムービー社長の藤岡豊は、国内市場しかないテレビアニメでの活動に限界を感じ、アメリカ市場に進出するために1975年に傘下にテレコムを創設した。そして、そのアメリカ進出第一作として文字通り社運をかけて製作に臨んだのが本作である。かつてディズニーが2度に渡ってアニメ化を検討した本作が素材に選ばれたのは、「週刊少年マガジン」の編集長だった内田勝の推薦によるものだった。

製作は日本とアメリカの合作で進められ、日本側のプロデューサーには藤岡豊が就任。藤岡は当初は主に資金調達の役目を担い、消費者金融のレイクから出資を受けることに成功する。1978年、藤岡は、当初、ジョージ・ルーカスにアプローチするが、ルーカスは、原案のストーリーに難があるとして謝絶、チャック・ジョーンズも断ったため、ルーカスの紹介で『スター・ウォーズ』を製作したゲイリー・カーツが就任して、米国サイドでレイ・ブラッドベリとエドワード・サマーにストーリーを全面的に書き直させるとともに、アメリカ法人キネトTMSを設立。「ナイン・オールドメン」とよばれるディズニーの長老アニメーター、フランク・トーマスとオーリー・ジョンストンが顧問となり、フルアニメーションができる日本人スタッフを育成するための特別体制が組まれた。メインスタッフとして高畑勲、宮崎駿、大塚康生、近藤喜文、友永和秀、山本二三らが招聘されて日米を往復した。

タイトル NEMO ニモ
製作 1989年
原題 LITTLE NEMO
製作国 アメリカ/日本
上映時間 94分
ジャンル アニメ
監督 波多正美
ウィリアム・T・ハーツ
脚本 クリス・コロンバス
リチャード・オッテン
原作 ウィンザー・マッケイ
出演者 合野琢真
大塚周夫
北村弘一
笠原弘子
石田太郎
内海賢二
玄田哲章
横尾まり
大竹宏

評価

72点

レビュー

空飛ぶベッドに乗ってあの頃はどこまでも行けた

物語は夢の国のスランバーランドに招待された少年ニモの冒険ファンタジー。
原作はウィンザー・マッケイの「夢のリトルニモ」

アニメーションのパイオニアでありディズニーやジブリや手塚治虫等に影響を与えた人でもあります。
100年以上も前のこのイマジネーションは未だに色あせることなく多数の作家に影響を与え続けている。

この作品10年以上の歳月をかけて完成させたわけだが参加したメンバーもスゴイ。

高畑勲、宮崎駿、ディズニーの元祖を創りだした伝説の9人のアニメーター集団「ナイン・オールドメン」そして知る人ぞ知るバンドデシネ界の大御所メビウスまで。ただこの作品は様々な不幸が重なり興行収入的には大きな失敗をしてます。

内容に触れると大人になった今見ると作りが子供向けだしドキドキワクワクという感情から一歩離れた視点で見てしまうところがあるのは否定できない。ただゴブリン達の造形がとてもキュートで好みだしナイトメアの不気味さもよい。

主人公の名前ニモはラテン語で「誰でもない者」を意味する通り小さい子供にとって夜みる夢というのはとても不思議で怖くて時には楽しく切ないファンタジーでした。
僕も幼少期に眠る前に色んな事を空想を想い描き眠りについたものです。

そんな子供たちがニモでなくなり無限大に広がるファンタジーから距離を置き始めるのはいつの頃からだろう?
すこし切ない気持ちになりますが
子供のうちに観てまたは自分の子供に観せておきたいそんな作品です。

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