インサイド・ヘッド【評価:74点】

インサイド・ヘッド

あらすじ・概要

人間の頭の中を舞台とし、そこに住む「喜び」「悲しみ」「怒り」「嫌悪」「恐れ」の5つの「感情」を題材としている。

ピクサーの長編映画第1作である『トイ・ストーリー』の全米公開から20年後にあたる2015年に本作が公開されたため、「ピクサー長編アニメーション20周年記念作品」とされている。

原題の”Inside Out”は「裏返し」という意味である。
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アメリカのミネソタ州にライリー・アンダーセンという女の子が生まれた。それと同時にライリーの頭の中には、ヨロコビという感情と、少し遅れてカナシミという感情が生まれた。

やがてライリーの成長と共に、曲がったことが嫌いなイカリ、嫌なものを遠ざけるムカムカ、心と体の安全を守るビビリという感情も生まれる。彼ら5つの感情はヨロコビをリーダーとして、ライリーの頭の中にある「司令部」で彼女の人生を幸せにするために日々奮闘している。それによってライリーにできた思い出は、黄色(ヨロコビ)青(カナシミ)赤(イカリ)緑(ムカムカ)紫(ビビリ)のいずれか1色に色分けされた「思い出ボール」となリ、ライリーの脳内にある「長期記憶の保管場所」に保存される。なかでもライリーの人生にとって重要な意味をもつ5つの思い出は、すべてヨロコビの黄色をした「特別な思い出」となり、「長期記憶の保管場所」ではなく司令部の中に保管される。そして「特別な思い出」が、「ホッケーの島」「おふざけの島」「友情の島」「正直の島」そして「家族の島」という性格の島を脳内に製造することで、アイスホッケーと友達と家族が大好きな陽気で正直な少女というライリーの性格を作り上げている。
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2009年8月、監督のピート・ドクターが共同監督のロニー・デル・カルメンとプロデューサーのジョナス・リヴェラと2日間かけ、映画のアイディアを話したという。ドクターは同年10月にジョン・ラセターにゴーサインをもらい、2010年に本格的に映画製作が始動した。スタッフは製作始動時の2010年はたった8人だったが、最終的に2014年には207人まで増えた。

製作期間は約5年で、8〜9本の長編映画ができるくらいの脚本を作り、試行錯誤を重ねながら脚本を練り上げていったという。ドクターは、自身の娘の成長や感情の変化に戸惑う気持ちが本作を作るきっかけになったと話している。また、映画を作るために8〜10人の神経科学者たちと意見を交わしたという。

5つの感情をつかさどるキャラクターのうち、キャラクターが完成した順番は、1番目がヨロコビ、2番目がビビリ、3番目がカナシミ、4番目がイカリ、最後がムカムカで、ビビリが2番目の理由はビビリとヨロコビを主人公に予定していたときがあったためである(最終的な脚本では、ヨロコビとカナシミが主軸となって物語が進行している)。ヨロコビのデザインは、妖精や体操選手、オードリー・ヘプバーンを参考に作られた。

タイトル インサイド・ヘッド
製作 2015年
原題 Inside Out
製作国 アメリカ
上映時間 94分
ジャンル ファミリー/アニメ
監督 ピート・ドクター
ロニー・デル・カルメン
脚本 ピート・ドクター
メグ・レフォーブ
ジョシュ・クーリー
出演者 エイミー・ポーラー
フィリス・スミス
ルイス・ブラック
ミンディ・カリング
ビル・ヘイダー
リチャード・カインド

受賞 アカデミー賞2016年88回:長編アニメ映画賞
ゴールデングローブ賞2015年73回:アニメ映画賞
英国アカデミー賞2015年69回:アニメ映画賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー2015年87回:アニメ映画賞
アニー賞2015年43回:脚本賞/長編アニメ映画賞
オースティン映画批評家協会賞2015年11回:アニメ映画賞
放送映画批評家協会賞2015年21回:最優秀アニメーション作品賞

評価

74点

レビュー

悲しみは本当に必要な感情か?

よくわかる心理学入門みたいな作品でした。

11歳の少女ライリーの頭の中を舞台に喜び、悲しみ、怒り、恐怖、嫌悪と5タイプの感情キャラクターが繰り広げる物語。

ただ喜びだけで悲しみや怒りとか全ての感情を対応してたような気がする(笑)

また今回はどちらかというとキャラデザが今までのピクサーと比べるとどこか薄く感じる。20周年記念作品なんだからそこしっかりして欲しかったなぁ。

また感情たちについてなんですけど元は27種類あったものを5種類に削ったそう。
ギリギリまで候補に残ったのが驚き、プライド、信頼だとか。
次回作がもしあるのであればこの3人も期待したいですね。

ただ日本だとまた違うんだろうなぁと。
例えば恥だとか我慢とかってどの感情だろう?日本にとってはこちらの方が親しみがあるのでは?まぁでも映画上映中に他人の迷惑考えずに携帯みたり電源OFFにしてなかったりぺちゃくちゃ話したりと恥とか我慢って概念は今の日本では当てはまらなくなってきてるのでなんとも言えないですが(笑)

と散々書いたがピクサーとしてはやはり泣きのツボを良いところで抑えてくるし喜びと悲しみが不在になる事により壊れていく人格にはハラハラします。とあるキャラとの別れのシーンなんてもう涙なしには見れないですよ?

今回は悲しみは本当に必要な感情か?ってのがテーマになってますが僕はそんなの最初から必要ってわかってました。だって悲しみの感情が無かったらこの映画が全然楽しめないじゃないですかー!そもそも僕はピクサーは泣くためにいつも観てますからね?(笑)この感情なかったらやばいでしょ(笑)

と本当の理由は劇内で語られてますので是非みなさんの目で確かめてみてください。

あ、これから見る人のためにこの物語は主人公の女の子ライリーの心の中に思い出が詰まってるメモリボールが多数でてくるんですけどこの監督の前作「カールじいさんの空飛ぶ家」のカールとエリーの結婚式を始め多数のピクサー映画のシーンが混じってますので見つけてみてくださいね。また細かいことですが字幕版の幼少期のライリーの声は同じ監督の「モンスターズ・インク」のあのブー役の人なんです。芸が細かい!
そしてプロ根性を感じたのがライリーの嫌いなものが字幕版はブロッコリー日本吹替え版はピーマンとCG含めて変更されてます。
これアメリカと日本の子供の嫌いな食べ物から来てるみたいですね。こんな部分まで気を使うピクサーが愛される理由がすごくわかります。
(同時上映の南の島のラブソングは別レビューでドリカムの感想含めて書いてます)

最初少し残念に感じたのは基本頭の中で完結ってパターンが多かった事。そこに外的要因はほぼない。喜びのリーダー的要素が強すぎるのかもっと良い意味で感情同士の喧嘩があっても良かったような気がする。言うなれば暴走する車(外的要因)を感情達がどう運転(葛藤)するかという感じ。これだとこの子なんだかロボットみたいだと思ったんですが「悲しみ」が何故かわからないけどメモリボールを触ってしまう理由って実はライリーの潜在的な意思って理由もあるのかなと。自分的にはポジティブな考えしたいのにすぐ落ち込んじゃうみたいな自己矛盾。いわゆる感情たちにもコントロールできないライリーの気持ちがそこに表現されているってことなのかなと思うと納得です。

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