ドライビング Miss デイジー【評価:70点】

ドライビング Miss デイジー

あらすじ・概要

原作は1987年度のピューリッツァー賞演劇部門を受賞したアルフレッド・ウーリーの戯曲である。映画化にあたり、ウーリーは本作品の脚本も担当した。

1989年12月15日に北米で限定公開され大ヒットを記録。アメリカ国内で約1億600万ドル、国外で約3900万ドルの興行収入を挙げた[1]。同年度のアカデミー賞では作品賞を含む9部門でノミネートされ、そのうち作品賞、主演女優賞、脚色賞、メイクアップ賞の4部門で受賞した。特に映画で老齢の未亡人を演じたジェシカ・タンディの演技は高く評価された。タンディは80歳でアカデミー主演女優賞を獲得したが、彼女の年齢は同賞における最高齢での受賞である。

本作品は『つばさ』、『グランド・ホテル』、『アルゴ』と並んでアカデミー作品賞を受賞しながら監督賞にノミネートされなかった四作品のうちの一つでもある。
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1948年のジョージア州アトランタ。元教師のユダヤ系老婦人デイジー・ワサンは買い物に出かけようと愛用のキャデラックに乗り込むが、運転を誤り隣家の垣根に突っ込んでしまう。それを見かねた息子のブーリーは彼女に対して運転手を雇うように薦めるが、デイジーは聞く耳を持たない。そんなデイジーの元に初老の黒人男性、ホーク・コバーンが運転手として雇われてきた。

初めは意固地にホークを拒絶していたデイジーだったが、根負けしてついにホークが運転する車に乗り込む。彼女がホークを嫌がっていたのは、自分が嫌味な成金であると周囲に思われるのを危惧していたからだった。しかしホークの真面目な仕事振りと正直な人柄に感銘を受けたデイジーは、やがて何処へ行くにもホークの運転する車に乗ることになる。

1953年のクリスマスに、デイジーは読み書きの出来ないホークに簡単な参考書をプレゼントする。デイジーはアラバマ州モービルに住む兄弟の90歳の誕生日を祝うため、ホークの運転するキャデラックに乗って遠出することになる。既に70歳近い高齢のホークだが、州外に出るのはこれが生まれて初めてだという。道中で路肩に止めた車の中で食事をする二人だが、その際の警察官の対応に、デイジーはいまだ法のもとで人種差別が容認されているアメリカ南部に根強く残る、黒人に対する人種的偏見を実感する。
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タイトル ドライビング Miss デイジー
製作 1989年
原題 DRIVING MISS DAISY
製作国 アメリカ
上映時間 99分
ジャンル ドラマ
監督 ブルース・ベレスフォード
脚本 アルフレッド・ウーリー
原作 アルフレッド・ウーリー
出演者 ジェシカ・タンディ
モーガン・フリーマン
ダン・エイクロイド
受賞 アカデミー賞1990年62回:作品賞/主演女優賞/脚色賞/メイク・ヘアスタイリング賞
ゴールデングローブ賞1989年47回:作品賞(ミュージカル・コメディ部門)/主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)/主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)

評価

70点

レビュー

幸せな人ってどんな人?

都会ではおどろくほど街ゆく人は他人に無関心です。
人が困っていようが、悪いことをしていようが無関心に通り過ぎます。
関わると面倒だから。
たぶんそんな理由。

物語は1948年のアメリカ南部。黒人のみならず、ユダヤ人も偏見の対象の時代。
ユダヤ系未亡人ミス・デイジーをジェシカ・ダンディ
長年勤める黒人の運転手ホークをモーガン・フリーマンが演じる。
個性の強いふたりが最初は反発し合いますがかけがえのない関係をしっかりとした絆に変わっていく様を表現しています。

また話の中にでてくる黒人解放運動を行ったキング牧師の台詞
「歴史に残る最大の悲劇は、悪しき人々の過激な言葉や暴力ではなく、善良な人々の沈黙と無関心な態度」
この言葉が染みます。差別する側が悲劇ではなくそれを見て見ぬふりする善良な人が問題だと謳っています。

政治に無関心な若者。困っている人がいても通りすぎる人たち。
まさしく今の日本にも通じる台詞だと思います。

この作品カタルシスなんて何もないのだけど妙にほっこりした気分になれます。ぞくに面白い映画ってラストどんでん返しがあったとか衝撃的なラストだったとかそんなものが多かったりするんだけどそんなインパクトはないのに良い映画だなぁと思わせる作品です。頑固なデイジーが徐々にホークを受け入れ少しずつ少しずつ心がちかづいていく様がわかります。年をとることは辛いことだけどこんな老い方をしてかけがえのない関係の人が側にいたら幸せだなぁと思えるような原作者の祖母と彼女の運転手の話をベースにしたそんなお話です。

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